HSP・アダルトチルドレンの経験を持つカウンセラー

アダルトチルドレンとHSPのスペシャリスト!

 

柳田 真未 (やなぎだ まみ)

愛知県名古屋市生まれ

メンタル心理陽のあたる場所 代表 柳田 真未

メンタル心理陽のあたる場所 カウンセラー柳田 真末です。私のプロフィールをご覧頂きありがとうございます。

自分がアダルトチルドレン・HSPだと気付くまで、とても生きづらく、不安な日々を送っていました。

自分を知ることは回復への大きな一歩だと思います。

自分がアダルトチルドレンやHSPの経験があるからこそできるカウンセリングがある。
どん底の状態から、自分が幸せになれたからこそ、お伝えしたい確かな気持ちと技術を自信を持って提供させて頂いております。

自分がHSP・アダルトチルドレンだと気付くまで、様々な生きづらさを感じてきました。

私がカウンセラーになりたい!と思ったキッカケは、自分自身の辛い経験がカウンセリングを受けた事で、嘘のように生きやすくなった事です。

私は幼少期からカウンセリングを受けるまでの過去の自分に戻りたい時がありません。
「あの楽しかった〇歳の頃に戻りたいな…」という気持ちはきっとこの先出来て来るのかと思います。その代わりに今の私は常に「今が一番幸せ!」という気持ちを感じて生きています。

父が行方不明になる

私は名古屋市瑞穂区というところで生まれました。両親はお見合い結婚でした。その長女として生まれ、それはそれは父方の親戚に可愛がられたそうです。一緒に住んでいた祖母は片時も私を離そうとしなかったと聞いています。

少し内気で大人しい女の子でしたが、周りの愛を受けながらスクスクと成長します。
ですが、私が5歳頃、父はアルコール依存症になり暴れるようになります。父が仕事から帰ってくる車の音に怯えるようになりました。父が暴れている時は弟妹とよく隠れて泣いていました。ですが祖母がいてくれたので私はとても心強かった。私は安全な祖母の部屋で過ごすようになりました。

私が小学一年生のある日、深刻そうに母が「お母さんの部屋に居て!」と言ってきたんです。訳も分からず言う通りにしました。しばらくすると一台のタクシーが着き私たちは母方の祖父母の家に行きました。
祖父母の家に入るなり、祖父に「なんで子供を連れてきたんだ!」と母が怒鳴られました。母は泣き出し、私はどうしていいか分からず、申し訳ない気持ちと不安と心配と居心地の悪さを感じます。
どうしていいかわからないまま、弟妹を連れ隣の部屋で遊んでいる事にしました。
“いつ帰るんだろう…” ”今日はここに泊まるのかな…嫌だな” ”お母さん怒られていないかな” 
そう心配していたのを今でも覚えています。
ですがこの日以来、父方の祖母の家には帰る事はありませんでした。

私が大人になってから聞いた話ですが、父が家に帰って来なくなり行方不明になってしまったんです。

小学一年生の私は何もわからないまま、新しい学校 新しい友達 新しい場所 新しい家…そして大好きだった祖母がいない生活が始まりました。

一年生で、学校にまだ慣れていないので疲れて帰ってきて、そのままカーペットの上で寝てしまう事があると、祖母は私に毛布を掛けてくれました。その温かい愛情がなくなり私は鍵っ子になりました。

ある日、父方の祖母が親戚の人と会いに来てくれました。大人の話が済んだ後、私のところへ祖母が来て
「元気でお母さんのいう事を聞いて手伝ってね!」と言って泣きながら私を抱き寄せてくれました。
幼いながらに、”もうおばあちゃんと一緒に居られないこと”を察しました。
涙をぐっと堪えて「うん…」と言うのが精いっぱいでしたが…

本当は「嫌だ!嫌だ!おばあちゃん行かないで!」と言いたかった。

おばあちゃんが帰っていくのを見送れませんでした。何故なら私はこっそり脱衣所で泣いていたから…

ここからが本当の地獄だった

3年生の頃、祖父から虐待を受けました。祖母も知っていましたが助けてはくれませんでした。
母にも言えず、だから私は「自分がちゃんとしていないからだ!」 「もっと私が〇〇だったらこんな風にはならない!」と自分を責めるしかありませんでした。

この頃から私はとても暗くて、いつも怯えているようになります。そして更に悪いことに仲良くしてくれていたお友達が転校することになり、心赦せる友達が一人もいなくなってしまったのです。

そんな暗い性格もあって、学校では集団無視や悪口を書いた手紙を貰う様になり、家でも外でも居場所がなくなりました。ただ唯一当時バスケットボール部に所属していたので、そこだけが生き甲斐でした。

この後、大人になるまで私は虐待を思い出す事もなく、就職し結婚しましたが、夫からはDVを受けるようになり離婚…

離婚後、母のいる山梨に逃げるように子供を連れて越してきました。夫から殴られる心配もなく、安心して子供との生活始めて半年が経った頃から、身体の不調を感じ始めます。
身体が重い…動けない…夜になると突然小学生の頃に遭った虐待のフラッシュバックが始まり、夜も眠れない。フラフラで朝仕事に行こうとすると突然強い不安感が襲ってきて行けない…追い詰められていきました。

こんな状態でしたから、仕事での信用も失っていき職場の人から「何考えてるかわからない!」 「変な子!」という言葉を聞いてしまい、当時心の支えだった恋人には裏切られ、全く外に出られない程心を病んでしまったのです。

この頃、大切な我が子たちにも随分と負担をかけ、寂しい思いをさせてしまいました。
大切なものすら守れなくなり、毎日毎日生きる事を諦めようとする事しか考えられませんでした。

頭の中は色々な言葉が飛び交いうるさく。現実を生きている感覚がない。そんな状態でした。
「このままじゃいけない!」そう思ってはいるけれど、どうしたらいいのかも分からず、途方に暮れていました。

カウンセリングを受ける決意

そんなある日、調子のよい日に図書館に子供と行った時、ある一冊の本に出合い「カウンセリング」という方法を知りました。

カウンセリングで自分の気持ちを整理していくと

  • 私は自己価値が低くなりすぎている事
  • 自己愛もない状態で自分で自分を責めている
  • 感情麻痺が起きていて、自分の気持ちを感じられない

事が分かりました。そんな私を丁寧にカウンセリングを通してひも解いて下さり、

「虐待を受けた事は、私は全く悪くなかった。」と教えて頂き、自分を取り戻す事が出来ました。

初めてのカウンセリングから帰った時、子供から

「やっと本当のママに逢えた!!」

と嬉し泣きをしながら言ってもらえたのが、とても嬉しく最高のギフトになりました。

自分でいうのもおかしいですが、私の過去を振り返ると

「本当によく頑張ったな…」と自分に対して言葉を掛けたくなります。でも、その経験があったからこそ、私は今、全ての出来事がとても嬉しく幸せです。

私と同じように頑張って生きてきた方たちと笑いたい!

だから私はカウンセラーになりました。

あの頃、自分を好きになり自分らしい人生を送れるなんて思いもしなかったです。自分は生きている価値が無いし、上手く生きていけないと、悲観的な日々を送りながら「誰も理解してくれない。」と強い孤独感と不安感の中で生きていくのを諦めてしまおうかと思った時もありました。もう人生を諦めようとしたどん底を体験した人生。日々の何気ない生活が楽しくて幸せと思えた人生。両方を知れたことに、今の私は自分の全ての人生に感謝したいと思います。

この極端な両方の経験が私を創ってくれました。とても辛かった経験があるから、現在を幸せを感じられます。

カウンセラーとしての想い

私がそうだった様に、悩んで苦しんでいるクライアントさんの力になりたい。

そんな気持ちでカウンセラーを目指し、当時の私が一番望んだ

誰よりも気持ちのわかるカウンセラーになりたい!と、一人一人と真剣に向き合い真心と感謝の気持ちでカウンセリングさせていただいています。

暖かい陽が心にふんわりとあたり、疲れた心をそっと暖かく包み込めるような場所になろう。

そんな思いで、「陽のあたる場所」と社名をつけました。

 

クライアントさんとともに成長し学んでいきたい。

 

悩んだり、迷ったり、辛いとき…
もう一人で悩まないで…

 

当カウンセリングでは、心の悩みだけではなく。

人生で起きる様々な悩み…人間関係 夫婦間 子供 性格 等…どんなお悩みでもお聞きいたします。※カウンセリングでは改善出来ないお悩みや症状の場合お断りする場合がございます。予め御了承下さい。

きっとカウンセリングを受けようと思いここに至るまで、色々と探したり不安を抱えたことでしょう。

私のプロフィールを読んで頂けてとても嬉しく思います。

あなたの変わりたいという気持ちを応援し、その気持ちに応えられるように、私もあなたと向き合っていきたいです。

あなたの人生を取り戻していただき、あなたの心からの笑顔にあなた自身が逢えるように…

あなたにお逢いできることを心よりお待ちしております。

~認定資格~

Specialist of heart養成アカデミー認定
セルフ・アクセプタンスカウンセラー

Specialist of heart養成アカデミー認定
セルフ・アクセプタンストレーナー

・ISFA スーパーフード  アドバイザー

・EFT-japan

 

 

お電話でのお問い合わせは 055-288-0948